「巨大で、無骨で、不細工で――途方もない浪費と、途方もない試行錯誤をくりかえしながら、一歩一歩それ自身の“進化”のコースを、手探りで進んでいる宇宙……」。一番好きな自分のSF『神への長い道』で私はそう書いた。
地球上に生命が発生してから四十億年という時間の中で知性を持った人間がどうして生まれ、進化してきたのか。宇宙にとって知性とは何か、文学とは何か、哲学とは何か、地球のほかに宇宙に知的生命体がいるのかどうか。
人類を、地球を、宇宙を丸ごと描けるのがSFだ。奇想天外で、刺激的で、強靱な物語をつくり上げるには、文学的な素養が不可欠で、だからこそSF文学の存在理由がある、と思う。
小松左京自伝(日本経済新聞出版社)より
小松左京が、一番好きな自分のSFと語っていた、『神への長い道』は1967年にSFマガジンに掲載された中編です。
小松左京の作品系譜でいえば、1965年刊行の『果しなき流れの果に』につらなる作品にです。
遥か遥か未来、人類の黄昏の時代。『日本沈没』のような地殻変動、『見知らぬ明日』のような外敵の来襲、『さよならジュピター』のようなブラックホールの接近、『復活の日』病原菌の蔓延、そのような判りやすい危機でなく、内部からの静かな、ベールにくるまれるかのような停滞感の中での、なすすべの無いまま迎えざるを得ないかに見える終焉。
そんな幕を下ろしつつある世界に、深い過去から眠りを覚ました、世捨て人のような主人公。
ほんの淡い期待をもって降り立った謎の惑星で繰り広げられる、人類と宇宙の命運を握る、けれどけっして熱を帯びることのない涅槃の彼方のような、安定しているが何もない、不思議な世界での物語です。
作品の系譜としては「神への長い道」(一九六七年)、「結晶星団」(一九七二年)、「ゴルディアスの結び目」(一九七六年)、『虚無回廊』(一九八六年~、未完)へとつながるわけだが、僕としてはこのテーマに関しては、ずっと「未完」という思いがある。
広大な宇宙の中でなぜこの地球に生命が生まれ、人類が生まれたのか。それは宇宙にとってどんな意味があるのか―― つまるところ、この問題意識が、『果しなき流れの果に』以来の、僕の最大のテーマだった。しかし当たり前だがその問題は大きすぎて、そう簡単に答えが出せるものではない。あれこれ考えたり、面倒で放り出したりしているうちにこの歳になってしまった。
SF魂(2006年 新潮社刊)より