「日本沈没」紹介ページ

『日本沈没』は、一九七三年に出版され、ドルショック、石油ショックといった当時の不安な世相を上下巻合わせ300万部を超える大ベストセラーとなりました(2021年9月現在、総発行部数480万部)。

高度成長の終焉にタイミングを合わせて書かれたかのような印象を持たれるもしれませんが、執筆開始は一九六四年、世界屈指の経済大国として発展を目指していた時期でした。

 そして、執筆動機は新たな繁栄の中で忘れさられようとしていた戦争にありました。

日本人は高度経済成長に酔い、浮かれていると思った。あの戦争で国土を失い、みんな死ぬ覚悟をしたはずなのに、その悲壮な気持ちを忘れて、何が世界に肩を並べる日本か、という気持ちが私の中に渦巻いていた。のんきに浮かれる日本人を、虚構の中とはいえ国を失う危機に直面させてみようと思って書きはじめたのだった。日本人とは何か、日本とは何かを考え直してみたいとも強く思っていた。

『小松左京自伝』より

“日本人とは何か、日本とは何か“それが『日本沈没』のテーマです。

高度成長で浮かれる日本へ、大切なことを忘れないようにとの警鐘として書かれた『日本沈没』ですが、執筆に九年もかかったために高度成長は終わりをつげ、日本は宴の後の不安な次のステージへと転がり始めていました。警鐘は間に合わず、物語と世相がシンクロした結果、皮肉なことに書いた本人が驚くほどの空前のベストセラーにつながりました。

日本列島が沈むという空前の地殻変動が描かれる背景には、別の要素も存在していました。

小松左京の先祖は南房総の相浜(あいのはま)の網元であり、幕末におきた安政大地震に遭遇した際、屋敷が津波にさらわれる被害を受けました。全てを失った翌日、一本の掛け軸が波に打ち寄せられ戻ってきました。幼い頃の小松左京は、代々伝わる掛け軸とともに大津波の恐ろしさを聞かされ育ちました。

そして、小松左京の母もまた大きな災害を経験していました。

私の母は19歳のときに、日本橋の人形町であの関東大震災に遭いました。それでしょうがないんで八王子の親戚のところまで2日間歩いて行った。母の覚えているのは、もうとにかくあっちに火、こっちに火で火事が一番怖いという話と、それから、歩いて行く途中の沿道の人たちの炊き出し、いろいろなものを持っていきなさいという、あの温かさが忘れられないと。でも、恐ろしいですよと言っていたんです。

「災害・防災の“ビジョン”を描く」(一九九七年・講演)より

小松左京はSF作家になるずっと以前に、実は漫画家としてデビューをしていました。一九四八年、旧制高校時代のことで、手塚治虫先生がその存在を意識するほどの実力がありました。
  小松左京が亡くなってから三年後の二〇一四年、GHQが保管していた戦後日本の文化資料の中から、デビュー漫画が見つかりました。日本を沈めようとする陰謀を巡る物語で、狂気にかられ日本を沈めようとする悪の博士と、その企てを阻止しようとする正義の探偵とそれを支える博士が登場します。対立する二人の博士のイメージが、学会に疎まれ孤立しながらも、日本列島沈没の予兆をとらえ、日本人を脱出させるプロジェクトに全てを捧げた、田所博士の原型に思えます。

小松左京のデビュー漫画「怪人スケレトン博士」検証メモより

江戸の大津波、大正の大地震、昭和の戦争を経て『日本沈没』は誕生し、映画、ドラマ、コミック、アニメと様々な形で、“日本人とは何か、日本とは何か“のメッセージを今も発信続けてきました。

原作そしてこれらの派生作品を通して、このメッセージについて想いをはせていただければ幸いです

小学文庫「日本沈没」上

角川文庫「日本沈没」上

ハルキ文庫「日本沈没」上

「小松左京『日本沈没』-未来へのヴィジョン-展」(2013年)より
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