「日本アパッチ族」60周年

目次

 はじめに

「日本アパッチ族」は、東京オリンピックが開催された1964年3月に発表された、小松左京初の長編小説。
 同年8月発表の「復活の日」と同様に書き下ろし作品であり、出版元である光文社の大々的な宣伝展開、初のコミック化、また幻となりましたが初の映画化も企画された小松左京にとってエポックメイキング的な作品です。

【「日本沈没」誕生のきっかけとなった作品】
 光文社による大々的な宣伝にもかかわらず目標の10万部に達しなかったことから、これに報いるために書かれたのが累計490万部を超えることになった「日本沈没」です。

【SF的手法を駆使し格差社会で追い詰められた人々の叛乱を描く風刺作】
 憲法改正により国民の権利が大幅に制限され、失業しただけで犯罪者として扱われる絶望的な世界。食べ物のない処刑場同然の大阪砲兵工廠跡の隔離エリアに追いやられた人々が、瓦礫の中の鉄を食べることで強靱な新人類に生まれ変わり、その生存をかけ人類との間で空前絶後の戦いを繰り広げる、SF的なユーモアを交えながらも現代社会が直面している極端な格差社会の本質を鋭く風刺した物語。

【「日本アパッチ族」イラスト】

【角川文庫装画は生賴範義先生】

装画 生賴範義

 新装版の角川文庫「日本アパッチ族」のイラストは、1971年のハードカバー版『復活の日』イラスト以来、小松左京がそのクォリティーの高さを賞賛し続けた生頼範義先生。

【角川文庫「日本アパッチ族」旧カバー】
 「日本アパッチ族」の世界観を見事に表現したイラストですが、これ以前には、やはり生頼先生による破壊とユーモアが強調された迫力あるイラストも採用されていました。
 

装画 生賴範義

ハルキ文庫装画は田中達之先生

装画 田中達之

 新装版のハルキ文庫「日本アパッチ族」のカバーは、まるで劇場版アニメのポスターを思わせる躍動感のあるデザイン。
 それもそのはず、装画を描かれたのは、アニメーターそしてアニメ監督として活躍されている田中達之先生。大友克洋先生が監督し世界で高く評価されジャパニメーションの先駆けとなった劇場アニメ「アキラ」(1988)の原画も担当されています。
(破壊的なエネルギーを秘めたうねりが既存の世界を廃墟に変えながら、新たな世界を生み出すさまは「日本アパッチ族」との共通点も感じられます)

小松左京アート展のコラボイラストは開田裕治先生

イラスト 開田裕治

 2018年、小松左京の漫画家デビュー70周年を記念して、漫画家小松左京をテーマにした初の企画である「小松左京アート展」が銀座スパンアートギャラリーで開催されました。
 その際に小松左京の遺稿漫画とともに萩尾望都先生、ヤマザキマリ先生、スタジオぬえの加藤直之先生ら、SF、幻想、ホラーなど様々な ジャンルで活躍する22名のアーチストの方々が、小松左京の物語世界をテーマに新たなイメージのビジュアルアートを制作してくださいました。

過去リポート再掲載 「小松左京アート展」2018年 *企画展は終了しています。


 

 この企画展において、『ウルトラ』シリーズや『ゴジラ』シリーズをはじめとした怪獣、SFイラストの第一人者であり、「怪獣絵師」の異名を持つ開田裕治先生が、鉄を喰らう新人類アパッチのイラストを描き下ろしてくださいました。
 富士山を背景に、破壊した文明のスクラップで築き上げた山の頂上で雄叫びをあげるアパッチ!
 「日本アパッチ族」の世界観を凝縮したような痛快な一枚です。


 

歴史その1【妻のためのラジオドラマ】

 小松左京は、1958年の新婚当初、西宮の六畳一間のアパートを借りていました。父親の工場の立て直しに奔走するもうまく行かず、やけ酒をあおり、いつも帰りは深夜遅くになっていました。新妻は、毎晩、独りでラジオを聞きながらまっていましたが、ある日、その大事なラジオが部屋から消えていました。小松は、ついにラジオまで質草になったかと、不憫でたまらず、そこで「ラジオドラマのような面白い物語を妻のために書こう」と決意しました。
 原稿用紙に何枚か、毎晩のように書いて工場に出勤しました。妻は面白がって原稿を読み、近所の奥さんにも見せて回っていましたが、「鉄を食べるなんて、気色悪い」と評判は今一つでした。
 しかし、妻は続きを読みたがり、その求めに応じ、小松は物語を書き続けたのですが、どんどん仕事が忙しくなったため、たった一人の読者のために書かれたラジオドラマの代替品としての初期型「日本アパッチ族」は未完となりました。

デビュー前の小松左京

*物語が誕生するきっかけとなったラジオですが、実は質入れされておらず、故障したので修理に出していただけでした。

歴史その1・トピック【鉄を食う人と菜食主義の猫】

 「日本アパッチ族」。舞台は、収容所と化した大阪城の砲兵工廠跡地。
 そこに、食べ物も与えられず押し込められた人々は、太平洋戦争時は東洋一の軍事工場だった廃墟に残された膨大なスクラップを食べ生きる食鉄人間に進化します。そして、その食鉄の新人類である日本アパッチ族が、日本に対し叛乱を起こすという壮大な風刺SFです。

 そんな物語を妻のために書いていた新婚時代のアパートに、何と完全菜食主義の猫が現れ、暫くは飼われることになりました。
 肉食獣の特性と草食動物の消化機構を持つ、ゴローと名付けられたハイブリット猫。小松左京が食鉄の新人類「日本アパッチ族」の物語を書いている横で、野菜喰いの新猫族(?)がうろついていたわけです。

大学ノートに書かれた「日本アパッチ族」の創作メモ(鉄を食べエネルギーにする仕組みを検討)

 小松左京の歴代ネコの中でも、トップクラスの奇妙な存在だったゴローのエピソードははこちらでどうぞ。

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歴史その2【小松左京初の長編小説「日本アパッチ族」】

小松が、妻のために書いた未完の物語は1964年3月に初の長編小説「日本アパッチ族」として光文社から出版されました。

「日本アパッチ族」(光文社 カッパ・ノベルズ)

 小松左京の初の長編作である「日本アパッチ族」は、SF要素満載の作品ですが、本人は決して本格的SFと認識しておらず、「復活の日」こそが、自身初の本格的SF長編であると語っていました。

 そもそも、「日本アパッチ族」を書き始めた頃は、SFという言葉も知らず、SFを書くぞという意識もなかったというのが、その理由のひとつです(何しろ、妻に楽しんでもらうために、大阪弁の漫才口調で、日本滅亡も大笑いしてしまうような小説ができないかと考えた結果、思いついた作品だったのですから)。

 もう一つの理由は、「日本沈没」と並ぶ代表作である「復活の日」にあります。
 小松左京の才能を高く評価し、デビュー以来ずっとバックアップし続けてきた、早川書房「SFマガジン」の福島正実編集長が、黎明期の日本SFを次なるステージに進ませるためにと企画した日本長篇SFシリーズの先陣を切る作品の依頼を受け、誕生したのが「復活の日」です。

 福島編集長は、小松左京の初のSF長編は、当然、早川書房から出るものと思っていたので、かなり立腹されており、小松左京は本当に恐縮していたといいます。

  福島さんからすれば、『SFマガジン』からデビューさせた新人で、目をかけてやっているのに裏切られた、という思いだったようだ。その気持ちはわからなくはないし、実際『SFマガジン』にも福島さんにも感謝している。だからこそ、書き下ろし長編を引き受けたし、僕は僕なりに『復活の日』には期するところがあった。

何よりも、僕としては『日本アパッチ族』は福島さん好みではないだろうと思っていた。あの頃の『SFマガジン』のしゃれたハイカラなタッチとも全然違ったし、早川から書き下ろしSFと銘打って出すからには、こちらも本格的なものを書かなければいけない。『日本アパッチ族』は手遊びのようなもので、それを早川から出すのは僕も不本意だった。

『SF魂』(新潮社)より

 さて、「日本アパッチ族」を出版した光文社は、10万部は売れると新聞広告などを大々的に打ち、デビュー間もないSF作家の作品としては破格の展開をしましたが、7万5千部という結果に終わりました。

 次回作で挽回し、光文社の恩にむくいようと書いたのが、代表作となる「日本沈没」です。

 1973年に出版された、「日本沈没」は、大ベストセラーとなり、光文社は上下で385万部を売り切りました(その後、様々な出版社からリリースされ、2024年3月現在、総発行部数は490万部を超えています)。

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 歴史その2・トピック【やなせたかし先生による初の原作コミック化】

 小松左京の原作は、さいとう・たかを先生や一色登希彦先生による「日本沈没」、石ノ森 章太郎先生の「くだんのはは」、松本零士先生の「模型の時代」、モンキー・パンチ先生の「時間エージェント」など様々な形でコミック化されていますが、初のコミック化作品は「アンパンマン」で知られるやなせたかし先生による「日本アパッチ族」です。週刊漫画タイムズの1964年5月1日号に掲載されました。

 限られたページ数で見事に原作のイメージを伝え、なおかつ、原作では枚数が多いとの理由で出版社の指示で泣く泣く割愛せざるを得なかったヒロインを巡るエピソードも、なぜか、やなせ・たかし先生のコミック版には挿入されています。

漫画脚色/やなせ・たかし

歴史その2・トピック【開高健先生と高橋和巳先生との関係】

 

【開高健「日本三文オペラ」と「日本アパッチ族」】

 一九五八年のくず鉄窃盗団と警官の騒動をきっかけに、小松左京が、「日本アパッチ族」を書き始めた頃、関西を代表する、もう一人の作家が、この事件をモチーフに物語を綴っていました。この前年に「裸の王様」で芥川賞を受賞していた開高健先生です。

 小松左京のようなSF的な設定ではなく、現実のくず鉄窃盗団をモデルにした開高先生の物語は「日本三文オペラ」のタイトルで、文藝雑誌『文学界』の1959年1月号から6月号まで連載されました。エネルギッシュでユーモアに溢れながらも、読後には、華やかなサーカスや活気溢れる夏祭りのあとのような寂寥感もある、素晴らしい作品です。

 小松左京は開高先生との出会いに関して、次のように述べています。

 いや、開高のことも『日本三文オペラ』も全然知らなくてね。そのころ大阪に『VIKING』って同人雑誌があって、主宰者の富士正晴さんが「開高健て知ってるか。『日本アパッチ族』と同じような題材で書いてるぞ」と言うんで、コンタクトを取ったんだ。

『小松左京自伝』(日本経済新聞出版社)より

 二人はすぐに意気投合し、開高先生が亡くなるまで交流は続きました。
 

 さて、原型版ともいえる新婚当初の「日本アパッチ族」執筆時には開高先生の「日本三文オペラ」の存在を知らなかった小松左京ですが、光文社の依頼で改めて「日本アパッチ族」を書く頃には、当然、「日本三文オペラ」を読んでいました。

 どうやら、この完成版「日本アパッチ族」は、「日本三文オペラ」の影響を受けているようです。本人は、一切語っていませんが、アパッチ族の食鉄メカニズムの分析やストーリ案を記した創作メモの一部に“開高健のパロディ”との興味深い走り書きが残されていることが、没後判明したからです(タイトルではないので、開高先生の別作品の可能性も無いとは言えませんが)。

大学ノートに書かれた「日本アパッチ族」創作メモ

 

 【高橋和巳「邪宗門」と「日本アパッチ族」】
 中国文学の研究家で、「非の器」「捨て子物語」などの小説でも知られる高橋和巳先生は、京都大学で同人活動を通じて知り合って以来、創作活動における盟友であるだけでなく、掛け替えのない大親友でした。

 そんな高橋先生の代表作「邪宗門」は、明治維新後、急激な近代化で追いつめられる、貧しき人々と、その受け皿として肥大化する新興宗教が、戦前戦中の大弾圧を経て、ついに国家と全面対立するという、高橋先生の歴史に対する深い洞察と悲哀に満ちた感性により描かれた、まるで壮大なサーガのような物語です。
 小松左京も、高橋先生のあまたある作品の中で最も優れた作品であると賞賛しています。

 この作品を読み、どうしても気になったことがあった小松左京は、ある日、高橋先生に直接訪ねることにしました。

 『悲の器』は高橋の愚痴みたいなものだったんだけど、『邪宗門』は小説としてよくまとまってるんだ。「『日本アパッチ族』のやり方をぱくったな」って言ったら、「ばれたか」と言って舌を出して笑ってたのを覚えてる。すごく明るい顔だったよ。

『小松左京自伝』(日本経済新聞出版社)
小松左京(左) 高橋和巳(右)

歴史その2・トピック【幻の映画化は岡本喜八監督、クレージー・キャッツ出演!?】

 「日本アパッチ族」は東宝で映画化が検討されており、実現していれば小松左京の初の映像化作品になったはずでした。

 監督には「独立愚連隊」や「日本のいちばん長い日」、「大誘拐」の岡本喜八監督、出演にはクレージー・キャッツが予定されていたとのことです。
 *山田信夫さんによる脚本は、「シナリオ」一九六四年一一月号に掲載されています。

 

 岡本喜八監督の対談集「しどろもどろ」(筑摩書房)によると、「日本アパッチ族」は岡本監督が会社に企画を提出していたのですが、諸般の事情で没ということになったそうです。
 岡本喜八監督は対談のなかで、映画「日本アパッチ族」を観たお客さんが、“その帰りにカレーを食べる時に、カレーよりもスプーンに食欲がわくような作品にしたい”といった主旨のことを語っていました。

 一方、小松左京自身も「日本アパッチ族」の原点として食い気があったことを、次のように述べています。

 あまりに酷い状況で、ついに鉄を食う新人類に進化するというのは、自分の飢餓体験が根っこにある。中学で焼け跡の片付けをやらされた時、友人が安物の土煉瓦を見て、「なんかパンみたいや。食って食えんことはないやろう」と言った。僕はその時、クズ鉄を見てウナギを連想し、「こんなにたくさんあるんだから、これが食えたらなあ」と思った。そういうあさましいイマジネーションがそのまま大きくなったわけだ。

『小松左京自伝』(日本経済新聞出版社)より

歴史その3
【ラジオドラマ「鉄になる日」が芸術祭大賞、ギャラクシー賞ラジオ部門大賞、ABU(アジア太平洋放送連合)大賞を受賞】

【小松左京没後のラジオドラマ化で三つの大賞を受賞】

 小松左京は2011年7月に亡くなりました。そしてこの年、「日本アパッチ族」は、「鉄になる日」というタイトルのもと毎日放送ラジオでドラマ化され、関西ローカルで放送されたのです。
 

 制作当時、本作は絶版状態だったのでスタッフは古本屋でみつけた表紙の擦り切れた角川文庫「日本アパッチ族」から脚本をおこし、現代風のアレンジを加え、凝りに凝った効果音を駆使し、ユーモアにあふれながらも迫力満点な作品に仕上げました。

最初の角川文庫「日本アパッチ族」(番組スタッフは、この古本を入手しシナリオ化)


 元々は、結婚直後に苦労ばかり書ける伴侶を喜ばすためのラジオドラマ代わりに書かれた物語が、作者の亡くなったその年に、まるで残された妻を慰めるためかのように本来の姿であるラジオドラマとして蘇ったようです

ラジオドラマ収録風景 ©毎日放送

  「鉄になる日」は、文化庁芸術祭大賞(ラジオ部門)、第四九回ギャラクシー賞ラジオ部門大賞、ABU(アジア太平洋放送連合)大賞を受賞し、これがきっかけで、10年以上絶版となっていた「日本アパッチ族」もハルキ文庫から復刊されることになりました。

当時のハルキ文庫「日本アパッチ族」(帯には「小松左京処女長編、ここに復活!」の文字が)
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