『地には平和を』紹介ページ

 この本は、表題作「地には平和を」、及び「日本売ります」の短編二作品と、「ある生き物の記録」として纏められた三六編のショートショートで構成されています。

 一九六二年から一九六五年にかけて発表されたもので、小松左京の最も初期の作品群となります。

「地には平和を」について

表題となった「地には平和を」は、小松左京のSF作家デビューのきっかけとなった作品であり、ここで提示されたテーマを、生涯追い求め続けたという意味で大変重要な作品です。

 「地には平和を」は、一九六〇年に早川書房「SFマガジン」の「第一回空想科学小説コンテスト(後のSFコンテスト)」の募集を見て、三日で書きあげたものです(応募時のタイトルは末尾の『を』がない「地には平和」でした)。

この「第一回空想科学小説コンテスト」では入選作がなく、「地には平和を」は佳作にも選ばれず選外努力賞に終わりました。このため、「SFマガジン」に掲載されることはなく、一九六三年にSF同人誌「宇宙塵」六三号で発表されることになりました。

選外努力賞に終わった「地には平和を」。しかし、当時「SFマガジン」編集長で後にSF作家ともなる福島正実先生にその才能を認められ、コンテスト応募の際につけたペンネームでプロ作家としての活躍の場を得ることが出来ました。SF作家、小松左京の誕生です。

一九六三年、小松左京の初の短編集『地には平和を』が出版され、この短編集に収録された「地には平和を」と「お茶漬けの味」が第50回直木賞の候補作となりました。

「空想科学小説コンテスト」は、もともと、『ゴジラ』(一九五四年)をはじめ、『地球防衛軍』(一九五七年)、『宇宙大戦争』(一九五九年)と、次々にSF特撮映画を手掛けていた東宝が、映画原作になる作品を集めようと、SFマガジンと共同主催したのもので、特技監督である円谷英二さんや、後に『日本沈没』(一九七三年)のプロデューサーとなる田中友幸さんも審査員となっていました。

円谷監督は、「SFマガジン」一九六一年八月号に掲載された、空想科学コンテストの選評においてなかで「SFはアイデアがよくても、その表現が作者の自己満足に終わっていてはなんにもならない。その意味では次点にはいった「地には平和」が、次元ものとしてのめりはりのある面白さを持っていた」と評されています。

 

「日本売ります」について

「日本売ります」は、一九六四年に「週刊サンケイ」に掲載されたものです。

タイトル通りの内容ですが、日本列島が無くなるという発想において、『日本沈没』(一九七三年)に先行しています。

一見荒唐無稽な物語ですが、その描写はリアルで、日本沈没により領土を失うことになる日本国民のために、生存地域を海外に求める過程とイメージが重なります。

『ある生き物の記録』について

  『ある生き物の記録』は小松左京のショートショート集で、一六八ページの中に極短い短編が三七編も収められています。SF同人誌『宇宙塵』に収録された『伝説』(一九六三年)以外はすべて、一九六四年から一九六五年にかけて「サンケイ・スポーツ」に掲載されたものです。

 「サンケイ・スポーツ」で、これらショートショートを連載していた頃、小松左京は、文化人類学の梅しンティア的な集団、「万国博を考える会」を立ち上げていました。

 二〇一八年、小松左京の万博回顧録を収めた、新潮文庫『やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記』が出版された際、「万国博を考える会」の創設メンバーである加藤秀俊先生が解説を書いてくださいました。その中に、万国博が実際にどのようなものかを理解することを目的に、当時開催されていた海外の万博を視察するため渡航するエピソードがあります。小松左京は、初めての長期の海外旅行ということで、随分、エキサイトしていたようで、色々しでかしてしまったようです。。

 

ニューヨーク・ヒルトンに泊まったときのこと。予算の関係で二部屋しかとれず、3日に1度1人部屋でと言われたが、結局3人で夜な夜な酒盛りをして、床にごろ寝という仕儀になった。ウィスキーの水割りばかり飲んでいたが、バスルームのところに製氷機があって、なかなか便利だった。ところが小松さんがその製氷機をいじって壊してしまって、氷が止まらなくなってしまった。どんどん出てくるから、梅棹さんと2人でバスタブにお湯をためて、必死で氷を運んだ。

だいたい、いつも何かをしでかすのは小松さんで、帰りに寄ったハワイでも、ムスタングを借りてわたしが運転したら、小松さんが何やらいじって、幌が走行中に上がってしまったり……。忙中におとずれた、なんとも愉快な珍道中であった。

新潮文庫『やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記』解説(加藤秀俊)より

 ショートショート「故障」を書いた2年後に、自らが生み出した物語と同じようなトラブルに巻き込まれてしまったわけですから、小松左京も本当に驚いたことでしょう。

 『ある生き物の記録』のショートショートは、漫画チックな作品も多く、小松左京原作の初アニメ作品である『小松左京アニメ劇場』において「SF番組」「初夢」「失われた宇宙船」「お仲間入り」「星野球』、そして、「故障」の六作品がアニメ化されています。

 

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