東日本大震災から11年が経ちました。
犠牲となられた方々とご遺族に哀悼の意を表すとともに、今なお困難な暮らしを余儀なくされている多くの方々に一日も早く安らかな日々が戻られることをお祈りします。
小松左京の母は1923年の関東大震災で被災し、その時の想い出を自分の子供たちに伝え続けました。
私の母は19歳のときに、日本橋の人形町であの関東大震災に遭いました。それでしょうがないんで八王子の親戚のところまで2日間歩いて行った。母の覚えているのは、もうとにかくあっちに火、こっちに火で火事が一番怖いという話と、それから、歩いて行く途中の沿道の人たちの炊き出し、いろいろなものを持っていきなさいという、あの温かさが忘れられないと。でも、恐ろしいですよと言っていたんです。
講演「災害・防災の“ビジョン”を描く」より
東日本大震災発生当時、療養中だった小松左京は、その被害のあまりの大きさに衝撃を受け、体調をさらに悪化させ、同じ年の7月に亡くなりました。
『日本沈没』の作者であったことから、震災発生当日から数多くの取材の依頼がありましたが、全て辞退していました。
しかし、震災直後の日本人がとった沈着冷静な態度に対し世界が高く評価したことで、気力を取り戻し、未来をになう子供たちへのメッセージとして、ただ一度だけインタビューに応じました。
世界の人がほめてましたね。これは、うれしかった。自然に生かされている日本人の優しさ、だな。日本は必ず立ち直りますよ。自信をもっていい。
毎日小学生新聞(二〇一一年七月一六日)より
東日本大震災で世界の人が高く評価した日本人の沈着冷静な態度の原動力は、小松左京の母が関東大震災で体験したものと同じ日本人の優しさ、温かさだと思います。
この温かさが、東日本大震災のこれからの復興に、そして新たな大規模災害が起きたときにも発揮されることを心より願います。