『SF一家のネコニクル』第3回~鉄喰う日本アパッチ族と野菜喰う猫ゴロー~

親猫のチーコが家を出て、残された子猫のカッパちゃんとチコちゃんも、貰われていってから暫く経ったある日曜日のこと。

朝早くから、庭に面したアパートのドアを「ドンドン!」と叩く音がします。

その頃、左京の大学時代の友達たちが徹夜マージャンをして、明け方にアパートに押しかけてくることがたまにあったので「また、お友達?」と克美はドアを開けました。

けれど、そこには誰もいません。

空耳だったのかと奥に引くと、また「ドンドン!」と音が響きます。

聞き間違いではなかったのかとドアを再び開けてもやはり誰もいません。

「えっ?」と思いふと下を見ると、そこには、少々ふてぶてしい感じの体格のいい一匹の雄猫がいました。

どうやら、その太い尻尾でドアをドンドンとしていたようです。

小松左京の家では様々な猫を飼ってきましたが、これほどユニークな登場をした猫はいませんでした。そして、その登場の仕方同様、日々のエピソードも歴代の猫の中で類をみないものでした。

その雄猫は、ドアの叩き方は乱暴でしたが、克美の姿を見ると愛想よく、部屋の中にも堂々と入ってきました。

お腹がすいているのかなと煮干しをあげましたが食べません。

その後この猫は、アパートに居つくようになり、克美は、カツオ節をかけた御飯や生の小エビまで与えてみましたが見向きもしませんでした。

エサは食べないのですが痩せていくことはなく相変わらずの立派な体格です。

外で何か捕まえて食べているか、あるいは別の家があってそこの餌しか食べないのかと、克美は、さして気にもとめていませんでした。

家飯をしないこの雄猫。ふてぶてしく、ちょっとゴロつきめいた風情があったので、やがて「ゴロ―ちゃん」と呼ばれるようになりました。後に、克美が漫画「じゃりン子チエ」の少々乱暴者のお父さん、テツの姿をみたとき、ゴロ―のことを想い出したというので、ああいったかんじの猫だったのでしょう。

さて、ゴロ―が現れて暫くたったある夜、克美が寝ていると、枕もとで「パリパリ、ボリボリ」と音がします。

「何っ?」と電気をつけると、そこには胡瓜のヘタを齧るゴロ―の姿が。

当時、薄切りにした胡瓜を顔に貼って肌の手入れをする胡瓜パックなるものが流行っていて、この夜も克美は胡瓜パックをして、余った胡瓜のヘタを台所の流しの三角コーナーに捨てていたのです。それをゴロ―はくわえ、克美の枕もとで食べていたのです。

化け猫が、夜に行燈の油をなめるという話はありますが、猫が枕もとで胡瓜を齧るというのは聞いたことがありません。

克美は不思議な猫だなと思い、キャベツのヘタを試しにあげるとこれもパリポリ食べます。それ以降、魚をあげてもいっこうに食べようとしないので、ゴロ―には野菜だけあげることしました 。

人参、白菜、ホウレンソウ、野菜であれば何でも食べます。三つ葉の根っこのようなものも喜んで食べ、克美は「猫なのに、あんな辛そうなものよく食べるわね」と感心したそうです。

さて、この頃の左京は、作家デビュー前で、父の傾いた工場を立て直そうと必死に働いており、新婚というのに帰宅が遅くなることもしばしば、金銭的にもあまり余裕がありませんでした。

そんな中、克美が、楽しみに聴いていたラジオが家から消えていて、ついに妻が質に入れたのだと思いこんだ左京は、せめてラジオドラマの代わりにと、深夜、毎日ノートに小説を書き、朝に克美に渡して出勤していきました。これが後に、自身の初長編小説となる「日本アパッチ族」の原型だったのです(実際にはラジオは質入れされておらず、故障のため修理に出していただけなのですが)。

「日本アパッチ族」。舞台は、収容所と化した大阪城の砲兵工廠跡地。そこに、食べ物も与えられず押し込められた人々は、太平洋戦争時は東洋一の軍事工場だった廃墟に残された膨大なスクラップを食べ生きる食鉄人間に進化します。そして、その食鉄の新人類である日本アパッチ族が、日本に対し叛乱を起こすという壮大な風刺SFです。

鉄を食べる新人類という、ともすれば荒唐無稽でリアリティーを失いがちな物語を固めるために、左京は緻密な設定をしています。

その創作メモによると「一日約五トンのスクラップを食べる。スクラップの中の酸化鉄、体内に蓄積されエネルギーになる」といった走り書きや、「Fe+2HCl→FeCl+H」といった化学式も見られます。

大学ノートに記された「日本アパッチ族」創作メモ(部分)

 角川文庫「日本アパッチ族」
ハルキ文庫「日本アパッチ族」

 

本来、人間は糖質、脂質、タンパク質からエネルギーを得ますが、日本アパッチ族の食鉄人はガソリンや酸化鉄からエネルギーを摂取します。また体を構成する筋肉などは、普通の人間はタンパク質に依 存しますが、食鉄人は、筋肉も神経も骨格も鉄で構成されます。

さて、野菜喰いの猫ゴロ―はどうでしょう?

魚を食べていれば、タンパク質やカルシウムなどが取れます。オカカ飯なら、炭水化物も摂取できるでしょう。けれど、野菜しか食べずに、猫にとってエネルギーや体を維持する点でもっとも重要なタンパク質の摂取が可能なのでしょうか。

大豆などの豆類であればタンパク質も豊富ですが、少なくとも家で食べさせたことはなかったようです。

もし、ゴロ―が純粋に野菜だけを食べ、それで体格を維持し活動するためのエネルギーを得ているとすると、食鉄のアパッチ族と同様に、何らかの進化を遂げた新人類ならぬ新猫類ではないかと思えてきます。

牛などの草食動物やシロアリなどは消化器官内に植物の固い繊維部分のセルロースを分解する微生物を住まわせています。その微生物が植物を分解することにより糖質を得たり、また増えた微生物そのものを消化吸収することで、タンパク質を補給するようにできています。ゴロ―も猫としては珍しく野菜を栄養にするメカニズムを持っていたのでしょうか。

肉食獣の特性と草食動物の消化機構を持つハイブリット猫。小松左京が、食鉄の新人類「日本アパッチ族」の物語を書いている横で、野菜喰いの新猫族がうろついていたわけです。

実際は、野菜ばかり食べるのは、あくまでアパートにいる時だけでのことで、外ではこっそりタンパク質豊富な魚やネズミを食べていたという可能性はあります。

けれど、その可能性も後に否定されていました。

小松左京が、ゴロ―のことを次のように本に書いているのです。

それどころじゃない。昔、わが家には完全草食主義者のネコがいた。なにしろ生野菜しか食わねえんだ。女房がパックにつかった苦いキュウリのヘタ、三つ葉の根っこなんかポリポリ食ってる。--そのネコの皿にゃあ、いつも生キャベツの葉ッぱがはいってるし、近所の八百屋をおそって、生のナスだのピーマンだのを盗みやがる(笑)。

 

『「性と食」の民族学(エスノロジー) 』「小松左京の猫理想郷(ネコトピア)」より

そう、この猫は、家で野菜を食べるだけでなく外で盗んでまで野菜を食べていたのです。

ご近所の奥さんが、克美にゴロ―が八百屋さんから野菜を盗んでいたと教えに来てくれた日、あろうことかゴロ―は、玄関で話し込んでいる奥さんの買い物籠のピーマンをパクリとくわえて走り去り、克美は、さらに赤面したと語っています。

やはり、ゴロ―は裏表のない生粋のベジタリアンだったようです。

猫属ですが、家猫亜種でなく、独自の進化を遂げた野菜喰い猫亜種といった特殊な存在だったのではないでしょうか?

鉄を喰う新人類を描いた小松左京の初のSF長編「日本アパッチ族」と、野菜喰い猫ゴロ―には、このような特別な関係があったのです(とは言うものの、実際にはゴロ―は、「日本アパッチ族」の創作活動には何も影響は与えていなかったようですが)。

表皮の角質組織はほとんど完全な鋼鉄だった。筋繊維、結締組織はひじょうに細い毛のような針金からできていた。骨のカルシウムはむろんのこと軽量型鋼によく似た構造の鋼材におきかえられていた。血漿はFeイオンの形で組織物質を運ぶだけでなく、ガソリンなどの炭化水素も運んだ。この炭化水素は、未発見の酵素――と言うよりも触媒の作用によって重合化され、ナパーム弾の中身のようにゼリー状になって角質内部の隙間にたくわえられた。これらの鉱物油類はまた関節や組織の潤滑の作用もし、その燃焼がアパッチの驚くべきエネルギーの源泉となるのだった。

鋼鉄の身体を持ち、強力なエネルギーを秘めた日本アパッチ族。一方、野菜しか食べないゴロ―もまた、アパッチ族同様に強い存在でした。

「奥さん~!大変。お宅の猫が」管理人のおばさんの大きな叫び声で克美が駆けつけると、長さ1mは超えようかという巨大な青大将を睨み、全身の毛を逆立てるゴロ―の姿がありました。

青大将は、長い身体をジグザグにし、棒のようにカチンコチンに固まったまま、全く身動きできていません。

「ゴロ―!」克美が呼びかけると、ゴローは威嚇ポーズを解いて、克美の方を見ました。

ゴロ―が眼をそらすと、膠着状態を脱した青大将は、クネクネと身体をくねらせながら逃げ出そうとしました。

すると、ゴロ―は、さっとその前に移動し、再び威嚇のポーズを取ります。すると、また青大将は、棒のように固まってしまいます。

克美が何度も呼びかけ、ゴロ―の気をそらしたことで、何とか青大将は脱出に成功。アパートの裏庭から草むらにむかって逃げて行きました。

克美は、巨大な蛇を縮みあがらせるゴロ―の姿を見て、まるでホウレンソウを食べて無敵になるポパイのようだと感心したと語っています。

さて、歴代のコマツ猫の中でも異彩を放つベジタリアン猫のゴロ―ですが、ある日突然「じゃ、あばよっ!」てな感じで姿を消します。あっさりしたものです。

そして、小松左京と克美も、それから間もなく、新婚時代を過ごし思い出がたくさん詰まったアパートを出ることになりました。

ペット禁止のアパートで次々に猫を飼いついに大家さんの堪忍袋の緒も切れた、というわけではなかったようです。それどころか大家さんは、本当に親切な方で、一度も猫のことでとがめられたことはなかったといいます。

克美に赤ちゃんが出来、新たなアパートに移ることになったのが理由です。

まるで、ディケンズの「クリスマスキャロル」の三人の亡霊のように次々と現れ、小松左京の新婚時代を飾った、フクちゃん、チーコ、ゴロ―による、三代にわたる初期コマツ猫の時代は、これで幕を閉じます。けれど、この猫たちは、後に、創作のヒントを与えたり、エッセーの題材になったりしながら、小松左京の作品の中で息づくことになるのです。

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