経歴

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生い立ち

1931年

  ・大阪市西区京町堀(西船場)に生まれる。

1948年【17歳】

  ・旧制第三高等学校入学。

・「怪人スケレトン博士」で漫画家デビュー。

1949年【18歳】

 ・京都大学文学部入学。

1959年【28歳】

 ・ラジオが壊れ、娯楽のなくなった新妻のために、小説を毎日少しずつ書く。これが『日本アパッチ族』の原型となる。

 ・ラジオ大阪の番組で、夢路いとし・喜味こいしの演ずるニュース漫才の台本を担当。

1961【30歳】

 ・「地には平和を」が空想科学小説コンクールで選外努力賞を受賞する。

1964年【33歳】

 ・処女長編『日本アパッチ族』(光文社)刊行。

 ・書き下ろし長編『復活の日』(早川書房)刊行。

 ・ラジオ大阪で桂米朝師匠との「題名のない番組」始まる。

 ・「万国博を考える会」発足

1966年【35歳】

 ・長編『果しなき流れの果に』(早川書房)刊行。

 ・「未来学研究会」発足。

1969年【38歳】

 ・ジュヴナイル連作短編集『空中都市008』(講談社)刊行。

 ・NHKで人形劇シリーズになる。。

1970年【39歳】

 ・日本万国博覧会でサブテーマ委員、テーマ館サブプロデューサーを務める。

1973年【42歳】

 ・光文社(カッパ・ノベルス)より書き下ろし長編『日本沈没(上・下)』刊行。

 ・映画「日本沈没」公開

1974年【43歳】

 ・『日本沈没』が第五回星雲賞日本長編部門賞受賞。年

 ・TBSテレビの取材で南極へ。

1978年【47歳】

 ・短編集『アメリカの壁』(文藝春秋)刊行。

 ・「ゴルディアスの結び目」が第九回星雲賞日本短編部門賞受賞。

 ・『SF宝石』8月号でI・アシモフと対談。

 ・冨田勲のシンセサイザー・コンサート「エレクトロ・オペラin武道館」の企画構成を担当。

1984【53歳】

 ・原作、脚本、総監督をつとめた映画『さよならジュピター』公開

1985年【54歳】

 ・『首都消失(上・下)』(徳間書店)刊行(第六回日本SF大賞受賞)。

1990年【59歳】

 ・花博開催。花博会場全体を舞台にランドスケープ・オペラ「ガイア」公演。

1995年【64歳】

 ・毎日新聞にルポ「大震災 95」を連載開始。

2002年【71歳】

 ・『幻のモリ・ミノル漫画全集』(小学館)刊行。

 ・小惑星6983番の呼称に「小松左京(Komatsusakyo)」が採用される。

2006年【75歳】

 ・「日本沈没」二度目の映画化。

2011年7月26日没【80歳】。

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