お正月ということで、小松左京のお正月短篇をご紹介します。1965年1月3日の日本経済新聞に掲載されたもので、半世紀後にあたる201X年(つまりほぼ現在)の正月風景を描いています。

目次

正月日記二〇一×年

人間の性はかわらず。噫!(小松左京のアルバムより)

「正月日記二〇一×年」

一月一日
新しき西暦二〇一×年はあけぬ 。 かつて、二〇〇一年の元旦には、いよいよ二十一世紀、新紀元にはいりたりと、世界中がお祭りさわぎをしたものなれども、よく考えれば、元旦は大晦日のつづき、新年は旧年のつづき、二十一世紀は二十世紀のつづきにして、別に変るところなし 。二十一世紀になればとて、世がでんぐりかえるわけにもあらず、人が頭にて歩き出すわけにもあらねば、また貧乏諸悪が突然地上より消えさるわけにもあらざるなり――桑海の変は二十世紀にも起こり、変らざるものは、二十一世紀にも変らず 。昨今ようやく、二十一世紀熱がさめ、年あらたまるごとのバカさわぎもすたれつつあるは、まことにもって慶賀のいたりなり 。

それにしても、人間は、よくよくカラさわぎの好きな動物と見ゆ 。――かつて予の祖父は、御一新のさわぎ、日清日露の戦役の慶祝さわぎを、ことあるごとに語りたるものなれど、人類には、お祭りさわぎ好きの本能がひそむと見え、なにかといえば口実をもうけ、世をあげてドンチャンさわぎをたのしむものらし 。そのさがたるや二十一世紀のフェスティバルにうつつをぬかす人も、はるけき旧石器時代に、首狩り祭りをたのしむ「ねあんでるたある人」とことならず、思えば、世は便利になりたるとはいえ、人間そのものは、ここ数十万年、さまで進歩せしとも思えず 。――まことにもって歯がゆきことなり 。

払暁、一人起きて若水を汲む 。――息子夫婦、孫ども本年より、予の指示にしたがって古式の正月を行う約束なるも、約をたがえて起ききたらず 。寝室はすべて電気錠なるゆえ、起こしもやらず 。地下室におりて一度は電源を切りたるも、思いなおして、居間各室に通ずる「緊急ベル」を鳴らす 。家族みな、あわててとび起き、計略まんまと功を奏したるも、ロボット消防車数台かけつけ、テレビ電話で警察に油をしぼられたるは、元日早々醜態なり 。

水道のため、ありがたみうすき若水を汲みたるものの、さてこの水をどうしてよいかわからず 。祖父両親存命中に、よくきいておけばよかったと悔ゆれども、今さらどうにもならず、なんとなくお茶をにごして、屋上に出でて、四方拝をおこなう 。日ごろ、人を年寄りあつかいにする家族一統、今日ばかりは予の命ずる通りに、不承不承、また笑いをこらえつつも、型ばかりは神妙に、頭をさげるは、はなはだいい気味なり 。――予も、もとより若年のみぎりは、かかる儀式を一笑に付したるものなれど、現在は、たとえ型ばかりとはいえ、つい近年まで生き、つたえられてきた日本の古い「正月」の感覚を、孫につたえおかんと決意す 。

それに年に一度、正月ぐらいは、日ごろ邪魔ものあつかいされ、進歩にとりのこされた旧弊人として、世に疎外された老人が、古式を知り、古い心をつたえる「祭司」として、――つまり、その期間中にかぎり、社会の主役、指導者として、ふるまうのも、またよからずや 。「年寄りの日」に、思い出したような憐憫まじりのお世辞やいたわりを示すのみにて、あとはほったらかしとは、はなはだもって老人を愚弄したやり方なり 。――二十世紀において、すでに重要な社会問題化しつつあった老人問題は、二十一世紀にいたるもいまだ抜本的な解決を見るにいたらず 。文明の歩みの遅々たること、かくのごとし 。――思えば予も、二十世紀においていまだ壮者なりしころ、老人問題などにはハナもひっかけず、ジジイババアなど早くくたばっちまえばいいとのみ思いおりしが、今日は人の身、明日はわが身、二十一世紀においてそのむくいをうくる形になるとは、――思えば皮肉なことなり 。

四方拝の後、ダイニング・ルームで屠蘇とそをいわう 。――家族一人一人予の前にすすみ、盃をうくるは、古き家父長制のシンボルなりと、孫ども猛反対せしも、かまわず強行す 。古稀をすぐれば、人間ちっとはいじわるになるが当然にて、それがまた老人の値うちなり 。――家伝の塗り盃を紛失し、形ばかりのプラスチックの盃にて祝うは、はなはだもって味気なきことなれど、これもいたし方なし 。屠蘇のミリンも、最近は入手難にて、わざわざ酒造会社に注文せしものとのこと 。一般家庭で料理する風習の衰退せる結果ならん 。

屠蘇ののち、雑煮をいわわんとするも、食事宅配会社は、いまだ「正月料理ユニット」を配達しきたらず 。――キッチンの、配達用パイプの中はからっぽなり 。テレビ電話にて係をよび出し、こっぴどくどなりつければ、相手はねぼけまなこをこすりつつ、「すみません。正月ユニットは、数がすくないので忘れてました」という 。無礼千万なり 。正月のおきまり料理をとる家庭も、最近はめっきりへったという話を思い出し、やや暗澹たる思いにとらわる 。

やがて保温ボックスにいれられ、パイプよりとび出してきた料理は、家族みんなは「極少サイズ――御祝儀用」の、掌にのるほどのものにて、予のみが「特大」なり 。御祝儀用は、黒豆一粒、ゴマメ一匹、カマボコ一枚、キントン一粒、カズノコ一きれ、といったみみっちさで、みなみな旧式のビタミン剤でものむがごとく、しぶい顔にてのみくだす 。――予、昔日の新年をしのんで食せんとせしも、その味はなはだもって粗末なり 。需要すくなき故にや、はたまた古き料理法が失われしためにや、これでは正月料理衰退も当然ならん――もっとも、記憶によれば、正月料理なるものは古来型にはまって、あまりうまいものにはあらず 。正月に女子を厨房の労より免れさせんがための、保存食なれば、キメのこまかい食事宅配サービスの発達せる今日、すでにその意味は失われたるにひとしく、予もただ、年中行事に対する郷愁によりて食するにすぎず 。

されどまたよし!――人は必ずしも、美味栄養のみを食するにあらず 。口おごりたるのちも、ひなびた味、ふるさとの味をなつかしむ 。しからば形ばかりのこの料理もまた、一種の精神的情緒的食物ならん 。――とはいえ、化学調味料をしました乾燥モチに、乾燥ミツバのはいったインスタント雑煮はなんとも味気なし 。半世紀前のインスタント食品の遺風、いまだここにのこるか、ああ! まやかしの合成ものらしきカズノコ、かたくてかめず 。やむを得ず、電気イレバをもちう 。小型モーターつきにて、顎をもちいずとも自動的に咀嚼する入れ歯なれど、つかううち、口中たちまち毛だらけとなる 。また孫のイタズラ坊主が、犬の散髪に用いしものならん 。――前のイレバは、フーセンガムを二十個もつめこまれて、廃品となる 。息子夫婦のしつけ、なまぬるし 。

食後、賀状、年賀客をまちうけたるも、どちらもきたらず 。息子と酒をのむも、最近の酒は、法令により分解酵素いりにて、のむうちは酔うも、盃をおけばたちまちさめて物足らず 。酩酊気分をのぞむものは、別に「酔い薬」をのまねばならぬとは、バカバカしきいたりなり 。

一人にて、初詣でに行く 。――街行く人、みな一応晴れ着にて、やや正月気分なるも、ベルトウエイの両側に、門松をずらりとたてて、動く門松並木をこしらえたるはどういうつもりか 。――まして緑めでたき松竹が、プラスチックの模造品なるはぶちこわしなり 。

総合神社仏閣パークは、老年男女の姿、平日よりやや多く見ゆ 。――日本全国の、有名神社仏閣の、パノラマ式分社を集めた神社デパートなり 。便利なれども、ありがたみうすし 。伊勢神宮館には、特別催しとして、立体色彩アイドホールにて、二見ヶ浦夫婦岩を投影しおりしが、どうやらビデオ録体らしく、いつまでたっても初日の出のくりかえしなのもインチキくさし 。

帰路、獅子舞いロボットを見かく 。――鼻の穴に十円入れてやれば、テープ録音の笛太鼓にあわせて、はでに古式のアクロバットを舞うも、小銭もちあわせなく、またロボットともなれば興もうすくて行きすぐ 。

帰宅ののち、さすがにつかれて、横になってラジオをきく 。――ラジオはほとんど個人間緊急通信用にのみつかわれ、立体テレビも、個人通信、学校の遠隔授業にのみつかわれて、ラジオの放送は、政府が老人盲人用に行うのみ 。――正月用に、歌謡、古典音楽、鶯の初音などを流すは、心のとどいた老人むけサービスなり 。謡曲「鶴亀」も、意味はほとんどわからねど、大鼓のさえた音に、のどかに古い、正月ムードを味わう 。まことに恰好のムード・ミュージックなり 。

――かくて元日は、なにごともなく、手もちぶさたに終る 。孫どもに、今日一日足どめをくわしたので、一家所在なげに、立体テレビを見る 。――正月番組は、半世紀来、かわらずくだらなし 。

トイレにはいって、ファクシミリの正月版を見る 。――トイレにファクシミリをおきたるは予の知恵にて、こればかりは老人の知恵が、一家をあげて歓迎されし特例なり 。――正月版は、これまた十年一日のごとく量ばかり多くして、中身なし 。政財学界の知名人の言葉も形式的なお座なりばかりで、それがかえって正月気分をかもすは、形式主義の妙というべきか 。――月行きの旅客ロケット遭難し、地球にひきかえす 。目下地球をめぐる軌道上にて、乗客救出中とのこと 。最近、正月を月にてむかうることが流行なれども、月への遊山旅行は、まだまだ高価にして危険多し 。

一年の計、元旦にあり 。本日より、わざと古めかしき文体にて、日記をつけ始む 。 ――孫曰く、 「なんだかむずかしくって、古くさくって、わかンないや」 善哉 。――老翁の記をのぞき見たる印象は、やがて古文に対して興味を湧かすきっかけになるやも知れず 。老人の古風をままるといわれも、孫が予の年配に達すれば、思いあたることもあらん 。――されど古文法をきれいに忘れ、文体、われながらたよりなし 。

一月二日
書き初めするも、近所の店舗には、スミ、スズリ、筆のたぐいなく、やっとたずねて発見したものは、粗悪にしてすこぶる高価なり 。やむを得ず、マジックインクでおこなう 。――生来の悪筆、赤面のいたりなれど、孫どもはじめて草書体をみてやたらに感服す 。 「おじいちゃんは、芸術家ね」 といわれて、いい気持ちになり、 「むかしの人は、誰でももっとうまかった」 とつい口をすべらせ、息子の失笑をかう 。

近来、賀状交換の風とみにうすれ、かわって立体テレビ電話の多重ビデオテープに、新年のあいさつ送りこむもの多し 。――予も首を長くして待ちうけたるも、来便は二通のみ 。それも、ありきたりのカードにて、宛名をタイプでうちたるものなり 。

旧臘末きゆうろうまつ、ぶうぶういう孫に手つだわせて、賀状数十枚を、みずからペンで書きたる苦労、かくてむくわれず 。――もっとも最近の郵便の宛名は、すべて音声タイプの磁気インク記号にてうたねば、局の郵便物自動整理機にかからざる由 。――孫は予の傍にありて、音声タイプのダイアルを「郵便」の所にあわせ、宛名をうちなおしおりしが、「字がむずかしくてよめないや」とこぼすことしきり 。――当今、新造語、口語変化はげしく、国語委は毎年、新語廃語をきめ、綴字法もいちじるしくかわりたれば、国語力低下といわんよりは、「日本語、今年のモード」というにふさわしきありさまなり 。

「便利な音声タイプがあるのに、なぜわざわざ手で書くの?――宛名なんか、一度テープにふきこんどけば、何回でも、自動的にうてるのに」と、もっともな疑問を発す 。 「手で書くのは、その人の誠意、ていねいさをしめすためだ」と、ひとくさりぶてば、「なにも手で書いてもらったって、ありがたくないや。誠意なら、機械をつかったって示せるもン」と、二十一世紀ッ子らしき、なまいきな口をきく 。――子供には年よりの心はわからん、と理屈ぬきで最後まで手つだわせて、溜飲を下ぐ 。予も、六、七十年も前、同様にして祖父の賀状を手つだわされたことを思い出して感無量なり 。これで幼年期のもとをとったような気にもなる 。

それにしても正月は手持ち無沙汰なり 。――小児らは常の休暇とことならず、当家にても、一日は予の厳命により、勉強をせざりしが、二日よりは大っぴらに自由研究にとりかかる 。当今、子供はやたらに勉強がおもしろいらしく、休暇ともなれば、工場、研究所、大学が旅行施設に開放されるとて、友人とあそぶよりは共同して自由研究に没頭す 。――思えば予の祖父の代、読書ははなはだ尊厳なる行為なりしが、予の少年時代には、読書による知識吸収が、一般娯楽とかわらざる状態となりたることを思えば、昨今の若いものに勉強が娯楽化しつつあるも、またむべならんか 。

フランスの旧友、ジルベールより、さそいの電話あり 。すくわれた気持ちにて、パリにあそびに行く 。――東京よりパリまで、大型超音速ジェット機で三時間あまりなり 。 ジルベールにあって、吹き出したるは、彼が和服袴に肩衣の、裃姿なりし故なり 。黒紋付に白足袋の、ケニア人ボンゴの姿も見ゆ 。 「笑うな。今ヨーロッパでは、日本、東洋式の正月がはやっている。――君たちの国が、キリスト教国でもないのにクリスマスをとりいれたみたいにね」と彼は説明す 。 そういえば、シャンゼリゼエあたりに大門松たちたるビルあまた見かけたり 。――シテ周辺に爆竹がひびき、つくりものの竜のおよぎたるは、中国風正月ならんか 。

「いいものはなんでもとりいれて、生活をたのしくすべきだ」とボンゴは笑う 。――まっ黒な顔に黒紋付で、裏表のわからぬ風情なり 。それにしても、パリに来て本ものの人間がやる獅子舞いを見るのは変な気持ちなり 。――カルチエ・ラタンの「二十世紀後半クラブ」に行き、旧友と次ぎ次ぎあい、大いに交歓す 。老人医学の発達とガンの克服により、欠けたるものはすくなしといえども、お互い年をとりしものなり 。一九七五年ものの本当に酔えるワインを痛飲し、人工心臓の出力をややあげてみんなでなつかしきサーフィンをやりツイストをおどる 。半世紀、若がえりし気分なり 。――ああ、トウキョウ・オリンピックはなやかなりし、古きよき時代よ!――世界連邦がうまれ、火星植民が現実化しつつある時代にも、人が生き、かつ老い行く運命はかわらず 。――泥酔して人事不省になり、気がつけば、フランス特有の「泥酔者送還箱」のベッドの中にあって、大気圏外を日本にかえりつつあり 。そなえつけの水で、酔いざめ薬をのんで、またそのまま眠る 。――一九六五年当時、まだ青年の頃、いまはすでにとりはらわれし東海道新幹線の超特急“ひかり”のグリーン車で、亡妻と新婚旅行する初夢を見る 。――深夜、眠りこけたまま帰宅 。

一月三日
そろそろ、ペンをつかい古めかしき文体で日記を書くのがめんどうくさくなる 。――明日より、茶のみ友だちと、とまりがけで一週間、日本アルプスにスキー旅行に行く予定なり 。――このあたりにて、日記もそろそろ、もとのごとく音声タイプを使った叙述にかえるべきか 。やせ我慢も、三日つづけば、まず上出来というべし 。――古来、正月決心は三日坊主ときまりしものなり 。世はうつり、人智、科学はすすめど、人間の性はかわらず。ああ

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