『復活の日』とは

宇宙から飛来した謎の細菌を生物兵器として改良したMM88が世界中に蔓延し、人類は南極にいた1万人を除き全滅。さらに、その最後の砦である南極までも、超大国の負の遺産である戦略核兵器の脅威にさらされるといった極限状況を描いた作品です。

 

日本SF黎明期である1960年代初頭。

『復活の日』は、初の日本人SF作家による書き下ろし長編シリーズの第一巻として、広く世間にSFの可能性を伝えようと企画し早川書房から発売されたもので、小松左京としては、風刺小説と位置付けていた『日本アパッチ族』とは異なり、自身初のSF長編との思いから渾身の力で書きあげました。

 

SARS、エボラ出血熱、毒性の強いインフルエンザなど『復活の日』登場から半世紀を経ても人類と感染症との戦いは続いています。

エンターテイメントとしてお楽しみいただくとともに、実際のパンディミック(世界レベルでの感染症の大流行)に備えるためのシミュレーションとしても役立てていただければと思います。

 

 

――偶然に翻弄され、破局におちいる世界の物語を描いたところで、私が人類に対して絶望していたり、未来に対してペシミスティックであると思わないでいただきたい。逆に私は、人類全体の理性に対して、――特に二十世紀後半の理性に対して、はなはだ楽観的な見解をもっている。(それはおそらく現代作家の誰にも共通のことだと思う)さまざまな幻想をはぎとられ、断崖の端に立つ自分の姿を発見することができた時、人間は結局「理性的」にふるまうことをおぼえるからである。

 「復活の日」 1964年 早川書房版あとがきより。

 

『復活の日』表紙と生賴範義先生

「スターウォーズ 帝国の逆襲」の国際版ポスターを手掛けるなど、SF作品の映画ポスターや表紙の第一人者である生賴範義先生。小松左京は、その絵を大変高く評価しており、「日本アパッチ族」「首都消失」「エスパイ」「継ぐのは誰か」「果てしなき流れの果に」と数々の作品の表紙も描いていただきました。

また、晩年には肖像画を描いていただき、あまりにも気に入った小松左京の妻が無理を言い生賴範義先生に譲っていただきました。

この肖像画は、小松左京のお別れ会「小松左京を宇宙に送り出す会」において遺影の代わりに飾られ、それはまるで宇宙の果で未だ思索にふけっているような存在感を出し、お別れ会のシンボルとなりました。

そんな小松左京と生賴範義先生との出会いは、1972年の早川書房版の『復活の日』でした。

「復活の日」の表紙にまつわるお話はこちらをご参照ください。

復活の日表紙                         角川文庫・小松左京電子書籍コレクション

 小松左京が一目ぼれした「復活の日」の表紙原画が44年ぶりに発見!

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映画『復活の日』

1980年公開の角川映画『復活の日』

製作費25億円。劇場映画としては初の南極ロケを行い、海外での展開を意識した超大作映画でした。

海外での撮影も多いことから、アメリカクルーに物語を説明するために生賴範義先生が25枚のイメージボードを制作されました。

1980年の邦画配収ランキングでは、黒澤明監督の「影武者」に次ぐ2位を記録(ちなみに3位は「203高地」でした)。

 

製作は、角川春樹さん。

メガホンをとったのは「仁義なき戦い」の深作欣二監督。

世界で初めての劇場用映画の南極撮影をすることになったのは、1973年版「日本沈没」や「八甲田山」でも撮影をされ、後の「劒岳 点の記」の監督の木村大作さん。

音楽は、「戦国自衛隊」「超時空要塞マクロス」「西部警察」など数多くの映画、ドラマ、アニメ作品で知られ、小松左京の映画「さよならジュピター」の音楽も手掛けていたたいだ羽田健太郎さん。

切ない主題歌「ユー・アー・ラヴ」を歌ったのは、ジャニス・イアンさんでした。

主人公の吉住を草刈正雄さんが演じ、美しいヒロインは、大ヒット映画「ロミオとジュリエット」(1968年)のオリビア・ハッセーさんでした。

fukkatsunohi2(c)1980 KADOKAWA・東京放送

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価格 ¥2,800+税
発売元・販売元 株式会社KADOKAWA 角川書店

(C) KADOKAWA 1980