日本を代表する脚本家である、橋本忍先生が亡くなられました。

橋本忍先生は、一九七三年の映画『日本沈没』において、四〇〇字詰め原稿用紙でおよそ一二〇〇枚、上下二巻となる長編を、上映時間二時間二〇分の素晴らしい映画脚本に仕上げられました。

ベネチア映画祭にてグランプリを受賞した「羅生門」(一九五〇年)で黒澤明監督と共同脚本する形でデビューされた橋本忍先生は、岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」(一九六七年)や、野村芳太郎監督の「八つ墓村」(一九七七年)など、日本映画史に輝く名作を多数手がけられました。「日本沈没」の森谷司郎監督とは、その後「八甲田山」で再びコンビを組み、こちらも一九七七年の邦画配給収入一位を記録しました。

その構成力と台詞の数々は素晴らしく、『日本沈没』においても、上映時間という縛りのなかで、小松左京が訴えたいメッセージを、極短い台詞に集約し、小説とは異なる形で、観る人に強く印象づけていただきました。

 

丹波哲郎さん扮する山本総理と田所博士の別れのシーンは、原作にある渡老人と田所博士の別れのシーンを置き換えたものですが、原作の持つテーマを揺るぎなく凝縮した形で表現されており、『日本沈没』第一部と、当時は構想段階だった第二部をとつなぐ大変重要なシーンでした。

 

小松左京は、映画『日本沈没』に関して次のように語っています。

 

映画『日本沈没』の第一作は昭和四十八年(一九七三年)十二月二十七日に公開された。わずか四カ月で完成した作品だが、見事な出来栄えで、八百八十万人の観客を動員、配給収入も二十億円に達した。一九七三年度と七四年度の二年続けて、邦画の興行ランキング第一位という輝かしい記録を打ち立てたのは快挙だと思う。監督の森谷司郎さん、脚本の橋本忍さんの力量に感嘆した。

 

『日本沈没』を映画史に残る素晴らしい作品にしていただいた橋本忍先生に、心より感謝し、ご冥福をお祈りいたします。.