第54回日本SF大会 米魂」開催おめでとうございます。

小松左京がルポした半世紀前の米子をご紹介します。

 

『妄想ニッポン紀行』

~「憂因幡祓玉伯耆」~より

大山のふもとをまわりこみ、やがて米子平野にかかろうとする、山陰の野は美しかった。--山々は南を区ぎり、田畑はよくひらけ、丘や森のかげには、舟底のような優美なカーブを描いてゆるやかにそりかえる棟をもった、山陰特有の、優雅で、どっしりした農家の藁屋根が点在している。これまた山陰特有の、背の高い稲かけ--西日をうけるように、高くそびえたち、菊竹清訓、粟津潔両氏のデザインになる、あの出雲大社宝物殿のパターンになった、あの稲かけが、刈りとられた晩秋の野のあちこちに、スクリーンのように立っている。そこからは見えぬはるか西方、島根半島の西端日御碕のあたりにおちる、朱盆のような太陽が、稲かけの稲を赤々とそめ、なだらかな山裾には、夕もやか藁焚く煙か、うすく白いヴェールがあいたいと棚びいて、紫紺の影を深め行く山肌をぼかしあげて行く。--野良よりかえる耕うん機のかすかな爆音が、しっとりとしめった静寂の底にものうくひびく。どこかで牛が鳴く。

--そういえば、このあたりもまた米子牛の本場であり、ここは但馬からつづく、牛ベルトの、おそらくは西北のはずれにちかいのだ。--牛は中国山中、瀬戸内島嶼部にも和牛飼育が分布しているが、肉牛乳牛となれば、やはり但馬あたりがピカ一ではなかろうか? --米子に発する食牛は、但馬を経て、一は播州におり、斜めに神戸牛、丹波牛、三田牛となり、近江を経て、遠く伊勢松阪の007ジェームズ・ボンドも賞味した、あの名高い松阪牛へと、その系統をひいているのだ。

たしかここには、一戸当り現金収入とは関係のない高層高成熟文化の気配が生きていた。--野面の畦に、農家のたたずまいに、いたる所にそのしるしは見てとれるようだった。--長い歴史をかけて練りあげられ、醗酵させられ、野に山に、自然と人工の一切に沁みこんで、熟し、内面化され、刺激的成分がことごとく揮発し変成してしまったあとに、薄くかそけき滋味、うま味といったものがのこっているような、得もいわれぬはんなりした「文化」の影が……。

だから、その「高文化」はみとめるにしても、はたしてこのあたりが--鳥取島根、因伯雲石四州を合する山陰の地が、天孫族征服前、かつての中ツ国の中心的勢力の存在した地であったかどうか? --私には、地政的に見て、どうも納得できない所があるような気がする。

国ゆずり神話が、出雲一国のこととして、では、近畿、中部、北陸の広大な地域のいたる所に見出される、出雲文化の痕跡はどうなるのだろう? --大和と出雲との関係は? 山陰本線が、開発鉄道としてでなく、当初はただただ、出雲大社参拝の、参詣鉄道として敷設されたという、これほどまでにつよい、「出雲信仰」のもつ意味は? --出雲系神話と高天原系神話の関係は? --大和や高天原系に、歴然と太陽信仰が見られるのに、出雲には、太陰信仰の色彩がつよく、太陽神話がほとんど見られないのはなぜか?

美保湾が右手にひらけ、夜見ケ浜の長い砂洲の黒い影が、眼前に低く、横長く、姿をあらわしはじめた。

「今夜は米子どまりにしますか」とK先生はいった。

「いいですね」と私は答えた。「牛と、新鮮な魚と--それに、今夜は一つ地酒でもゆっくりのみませんか? 山陰の、この冷えてしめった空気の中で、宍道湖の魚介を肴に、熱燗でまったりした地酒をキュウとのむと、これはこたえられませんよ」

「憂れ因幡[いなば]、いざのみほさん玉伯耆[たまほうき]……」とK先生はつぶやいた。

「出雲にこもる雲をはらいて……というのはどうです?」と私はいった。

 

 

注)

『妄想ニッポン紀行』は、1963年9月から、1966年まで朝日放送のPR誌『放送朝日』で連載された、SFルポ「エリアを行く」をまとめたものです。

瀬戸内海から九州、そして伊勢、紀伊、出雲とたどった歴史ルポです。

小松左京にとっては初の「ルポ」であり、一種のフィールドワークとして、自身の日本論の基礎となりました。ここでの経験が、「日本沈没」など様々な作品に影響を与えています。

ご紹介した文章は、小松左京が見た、半世紀前の米子の印象ということになります。