『SF一家のネコニクル』第4回

~子育て猫プヨの『くだんのはは』お咲さん的なホスピタリティー~

 

愛のための長い旅で寿命を縮めたフクちゃん、小松左京の新婚家庭をあわや大惨事に巻き込みかけたバカ猫チーコ、そして、謎の野菜喰い猫ゴロ―ちゃんと、何ともバラエティーにとんだ初期3代の小松家猫王朝が終わりを告げ、左京と克美に初めての子供も誕生し、少し生活も落ち着きはじめた、そんな頃、左京の実家から子猫をもらってくれないかと打診がありました。

実家で飼われていた猫はミーマ。

ミーマは、よく子猫を産むので、毎回貰い手探しに苦労していたようです。

その時産まれた子猫は三匹いましがた、克美はミーマによく似た毛並みで、三匹の中でもずば抜けて元気いっぱいの雉猫が気に入りました。

「それは、メス猫だし、やたら元気いいから、沢山子供産むよ。大変だから別の猫にすれば」との忠告も無視し、その雉猫をもらいうけました。しかし、その忠告は、トロイの王女カサンドラの予言のように、不吉にも現実のものとなってゆきます…。

その頃、小松左京は、まだ借家住まいとはいえSF作家としてデビューし、仕事も忙しくなり、新婚時代よりは生活的余裕が出来てきました。

プヨと名付けられた元気な子猫は、スクスクと育ち、立派なメス猫になりました。

そして、あの予言どおり、次々と子猫を産みました。

年に2回、それも4匹、5匹と!

左京の仕事も忙しくなり、克美にも二人目の子供ができます。一軒家への引っ越しがあったり、夫と子供たちの世話にてんてこ舞いの上に、年に2回の子猫の里親探し、本当に大変な日々でした。

つてを頼って貰ってもらったり、近所に張り紙を出したり、左京に頼んで、雑誌で貰い手募集までしています。

作家の飼い猫が産んだ子猫を読者プレゼントにするというのも何だか凄い話です。

プレゼントの発送をもって当選にかえさせて・・・・・・というわけにもいかないので、家にわざわざ受け取りに来れる方が応募条件でした。

しかし、たいしたもので、その読者プレゼントの子猫は、全て貰い手がつきました。

わざわざ取りにきてくれたのに、既に子猫が他にもらわれ、手ぶらで帰っていただいた方もいました。本当に失礼な話です。この場を借りて、改めてお詫びしたいほどです。

 

多産猫のプヨは、自分の子猫だけでなく、人間の子にも同じように優しく接しました。

克美が忙しくしていて子供たちの相手が出来ないときは、その子たちの良い遊び相手になっていたのです。

お腹を枕代わり昼寝されようが、ヒゲやしっぽをひっぱったり、ぷにぷにの胸を触られても(今、これをやったらネコハラで訴えられますね)、怒って爪をたてたり、噛んだりすることは決してありませんでした。

昔風の「人の良い猫」(ちょっと言葉の使い方おかしい気もしますが)。なんだか、小松左京のホラー小説『くだんのはは』や女シリーズ『秋の女』に登場するお咲さんのような猫でした。

 

 お咲さんはそのころ五十ぐらい、僕の家にずいぶん前から通っていた家政婦さんだった。子供好きで家事の上手な、やさしい人だった。僕はもう大きかったから、それほどでもなかったが、幼い弟妹達はよくなついていた。末の妹などは、病身の母よりもお咲さんに甘ったれてしまい、彼女はいつも妹がねつかなければ帰れない事になっていた。物を粗末にせず、下仕事もいやがらずにやり、全く骨惜しみしない――信じられないかも知れないが、昔はそう言う家政婦さんもいたのだ。

 

 くだんコミック電子コミック『くだんのはは』(原作・小松左京、画・児嶋都)

お咲さんに匹敵するほど良くできたお母さん猫のプヨに対して、左京と克美の下の子供は、とんでも無いことをしました。その時の様子をエッセイに書き残しています。

 

このせがれがまだ二つ三つのころだったが、家の前のみぞの所にしゃがみこみ、大声でみぞにむかってしゃべっているのを見かけた。何をしてるのか、とのぞいてみると、「蛙さんとお話してるの」

と言う返事がかえって来た。

それからしばらくたって、当時飼っていた猫が、このチビさんに追いかけまわされ、石をぶつけられたり、棒でぶたれたりしていた。どうしたのか、ときくと、「猫が蛙さんをとったんだ」と、口をとんがらせた。

「あの蛙さん、ぼくのお友だちなんだよ」

そう言うと、小さな握りこぶしをかためて、眼をぬぐい、そろそろとその場を脱出しかけていた猫にまた、えい、と棒をふりあげた。

プヨと子供

 

『蛙の墓』(「犬も犬なら猫も猫より」

 

さんざん世話になっているのに、まったく酷い話です…。本人には猛省を促したいところです(えーと、プヨごめんなさい)。

プヨを「ボクのお友達のカエルさんをとった!」と追い廻しながら、泣き疲れたらプヨのお腹を枕にし、その乳房をさわりながら寝てしまうでのす。まったく子供とはいえ、いい気なものです。

プヨはプヨで、そんなことは意に介することなく、いつも通り、この出来の悪い、種の異なる子供を受け入れていました。

――五人も子供をうみながら、根が病弱で、臥せる事の多かった母にかわって、そして兄を溺愛した祖母にかわって、お咲さんは私の母がわり、やさしい姉がわりとして、たえず私をいつくしみ、面倒を見てくれた。私はお咲さんに抱かれ、おぶわれ、手をひかれて大きくなって行った。弟がうまれてうばわれた母の乳房のかわりに、お咲さんの襟えりもとから手をつっこんで、その若いふくらみにふれ、乳首をひねくりまわして眠った。――はずかしがりやで、すぐまっかになるお咲さんも、私がする分には、困ったようにくすぐったがるだけで、こばまなかった。四つ五つになると、さすがに乳房にふれるのはやめたが、そのかわりお咲さんの膝に抱かれては、お咲さんの襟もとにある大きな黒子からはえている、長い毛をひっぱった。

『秋の女』より

 

プヨは、1965年に小松の家に来て以来、1969年まで、毎年のように子猫を産み続け、一方、左京も競うように『果しなき流れの果に』『明日泥棒』『ウインク』『神への長い道』『模型の時代』『空中都市008』『見知らぬ明日』と沢山の作品を生み続けました。NHKで放送された『宇宙人ピピ』も、この頃です。

自分の子育て、夫のサポート、子猫の里親さがしと、さすがの克美も疲弊し、ついにプヨの避妊手術を決意します。

電車に乗って獣医さんに連れて行こうとした際に、プヨは鞄から飛び出し逃げてしまいました。

大阪市内から西宮まで旅をしたフクちゃんのことを思えば、阪急のローカル線で、ほんの3駅ほどの距離。帰ってくるかと思いましたが、それっきりでした。

子供たちの、特に下の子の嘆きは深く、暫く茫然としていました。

克美も、うっかりしていたと自らを責めました。

 

多産系だったプヨですが、最後の出産で産んだのは一匹だけでした。

プヨが生んだ最後の猫は、ピューと名付けられ、そのまま家に飼われました。毛並みのよい雄ネコで、歴代コマツネコの中でも、もっとも大人しいネコでした。早くに母猫を亡くしたせいか、どことなく寂しげな風情のこの猫は、あまり長生きをせず、静かなまま生涯を終えました。

そんな静かで影の薄い人生ならぬ猫生でしたが、歴代コマツネコのなかで、唯一広告に登場したのが、このピューでした。三洋電機のテレビの雑誌用広告写真に、その姿が映されたのです(その、三洋電機も今はもうありません)。

 

静かなるネコ、ピューの存在は、これから小松家を襲う大暴風の前の、いわばインターメッツオ(間奏曲)だったのです。それは、次回のお話で。

 

克美と子供たちを嘆き悲しませたプヨの脱走劇ですが、左京は、『人間博物館』という作品で、プヨの気持ちを代弁するかのような、次のような文章を残しました。

 

細君:もうそろそろあやしいんですよ。子ネコが生まれるとわずらわしゅうございましょう。それで、避妊手術をしてしまおうか、というんですけど、たくが、何となくいやがるんですのよ。

ネコ:〈避妊手術なんてやーよ! ――あたしかわいい、あたしに似たきりょうよしの赤ちゃん、どっさり生むんだから……〉

『人間博物館』より

 ぷよ

自分そっくりな娘を産んだプヨ

(上がプヨ、下がその子供です)

小松左京の猫尽くし本はこちらです。

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